人生はだから面白い♪

 

わたしが大切にしていることの一つに、HPや、メールマガジンは、心から、アップしたいとそう思った際にのみ、発信をするというのがあります。

それゆえに、時には、連日、パソコンに向かうという日があることもあれば、また、別の時期には、まるで、浦島太郎状態ということも。

2001年から、2016年の間には、日本でも大きな出来事がありました。

ちょうど、その少し前に、わが家では、ひょんなことから、ちょっとしたイベントがありました。

海から10分少し内陸部に入ったわが家とは別に、ある時期、海見えセカンドルームがわたしたちの生活に登場♪

両方の家を日々、往復しながら、2つのリアリティーを行き来していました。

内陸部から、行き来をするよりも、砂浜経由で、行き来した方が圧倒的に短距離で、楽しみながら往復できることもあって、可能な限りは、ビーチサンダルで、砂浜を経由して、2つの住まいを行き来。

セカンドルームを借りたきっかけは、外壁塗装のリフォームだったので、化学物質過敏系のわたしにとって、加えて、電磁波過敏系のわがパートナーにとって、この海見えマンションは、最高の物件でもありました。

というのも、オールドマンションゆえに、階段のみで、マンション全体の電磁波も現代にしては、ごくごくわずか。

居住者の方々も、ナチュラル思考の方々が多かったのだと思うのですが、ほとんどの方々が、クーラーなし。

このマンションの前に、大きなお宅があったものの、その方のお庭は、ものすごく広い芝生で、その前は、海!!!

マンションからは、全面に海が広がっていました。

わたしたちが、住んでいたのは、最上階の4階の角部屋。

海とは、別の方角にも窓があって、そこからは、江ノ島が見えました。

玄関を出ると、そこには、わが家からも見える、大きな山があって、ちょっと別の方向を眺めるとまたまた、別の湾が見えたりと、海と山の景色がいっぱい。

最初、不動産屋さんに案内をしていただいた際には、案内をしてくださった担当の方も、階段を登りながら見えるあまりの景色のよさに、興奮気味!

部屋に一度、足を踏み入れたら、もう、即決するしかないでしょう!!!という感じでした。

人生には、こんな風にピンチの際に、あっと驚くギフトがやってくることがあるものです。

というのも、このセカンドルームを探し出した頃は、というと、化学物質過敏症ゆえに、かなりのピンチ状態!!!

最初は、湘南国際村のホテルにお世話になり、それから、プレーゴ葉山という、少し、お手軽に宿泊できる徒歩圏のホテルを定宿にし、国際村のホテルや、プレーゴ葉山の予約が取れない週末などには、友人宅に遊びにいかせてもらったりしたのもの、このままでは大変ということで、ある時、わたしは、新幹線に乗って、彼の実家に1ヶ月ほど居候させていただき、その後のわたしたちの選択として、ある程度、塗装の匂いが抜けるまで、セカンドルームを探すしかないというそんな結論に達したのでした。

部屋探しは、わたしに一任されて、いくつかの不動産屋さんを回った後、わが家からできれば、徒歩圏内という範囲で、あたりをつけて、一挙に車で、案内をしていただいた物件の中の最後の一件が、この海見えオールドマンションだったのです!!!

それまで拝見した物件と同等あるいは、それよりもお手軽な価格で、夢のような贈り物と出会えました♪

不動産関連との出会いは、わたしの場合、いつもこんな風にして、あっと驚く出会いに導かれます。

光の存在さんたちは、ちょっとしたサプライズがお得意なのかもしれません。

毎日がまさに、リゾート気分!!!

朝食も、海を見ながら♪

せっかく、山のように本を持ち込んだものの、目の前が海というこのロケーションと、夜は、手元灯のみということもあって、当時、わたしたちのブームになっていた量子物理学関係の本以外は、ほとんど、読むことはありませんでした。

住んでいる環境は、こうも、わたしたちに影響を与えるのだと、ちょっとびっくり!!!

彼は、畳の部屋を、そして、わたしは、海見えの洋間に、ヒーリングベッドを持ち込んで、ちょっとコンパクトなベッドで、寝ていました。

この時に新しく購入したのは、アウトドアでも使えそうな、真っ白なテラス用のおしゃれなテーブルセット!!!と、しばらくしてから、どうしても必要になった小型の冷蔵庫くらい。

当初は、冷蔵庫なし生活にトライして、近所の八百屋さんで、ちょこちょこお買い物をして乗り切っていたのですが、ある日、お野菜さんまでもが夏バテしはじめてしまい、それに加えて、梅雨時の台風状態で、家から一歩も外に外出することができなくなって、現代の機器にお世話になる決断を。

部屋の中の電気も最小限に!

夜に使っていたのは、キッチンの電灯と、お風呂の際のバスルームの電灯、トイレにも電灯はあったのですが、廊下の電気がかなり明るくて、ほとんど必要なくて、洋間と和室には、あえて天井の電気は持ち込まずに、手元灯を使いながら、洗濯機なしで、お洗濯は、まとめて、内陸部の家で。

ちょっと古いマンションということもあって、毎日、往復の際には、逆浸透のお水を我が家から持ち運んでいました。

今、思うと、あの頃は、なんと若かったことでしょう。

真っ黒に日焼けしながら、毎日、海を通りながら、逆浸透のお水入りのボトルを持って、2つのスペースを行き来していました。

でも、本当に楽しかったのです♪

人生って、なんて、おもしろくできているのでしょう。

ピンチのおかげで、彼の実家に1ヶ月、わたしだけがお世話になったのは、かけがえのない体験でもありました。

その頃には、もう、わたしの方が、彼の実家の周辺について詳しくなってしまったほど。

そして、さらなるピンチのおかげで、海見えマンションに出会うことができました♪

このマンションは、常住していらっしゃる方々もいれば、セカンドルームに利用している方々もいらして、わが家のお隣も、階下も、めったに住んでいらっしゃいませんでした。

もし、電磁波の流れを視覚的に眺めることができたなら、現代の住まいの中で、これほど電磁波が少ないマンションも少なかったのではないかと思います。

さすがに海風はあっても熱帯夜は、クーラーなしで乗り切るのは、ちょっとした工夫も必要で、何度か、真夜中に水浴びをしたことも。

といっても、当時は、屋上が解放されていたので、屋上に上がれば、3方向から流れてくる海風が通るので、暑気払いには、最高でした。

わたしたちの中では、こんなにすばらしい出会いはそうそうないので、可能な限り、このセカンドルームを借り続けたい!!!というそんな話まで持ち上がっていたほどでした。

せっかくの電磁波が少ないマンションということもあって、もともと、インターネット環境も整っていなかったこともあり、オフラインのパソコンのみ生活。

もし、マンションの塗り替え塗装がなかったなら、わたしたちは、もっと長丁場にこのマンションをお借りしていたことと思います。

日本を揺るがすあの日の後、突如、マンションに衝撃の張り紙が!!!

え???このマンションも塗り替え塗装???

いや〜またまたびっくり!!!

もちろん、避難はしたものの、マンションの塗装が終わって、何ヶ月かは、まだ、踏ん切りがつかなくて、もしやの願いを込めて、わたしたちは、そのマンションに再び住む夢を持って、日々、窓開けに通ったのですが、やっぱり感じる化学物質の感覚!!!

というわけで、結局、そのマンションとはさようならをすることになりました。

突然のマンションの塗装には、様々な理由があったのだと思います。

というのは、もともと、かなり老朽化していたこともあるのですが、当時、除染ということばが日本に登場していたこともあり、そして、また、近隣のマンションの屋上を何かの際の緊急避難先にという依頼も入っていたようなのですが、この塗装をきっかけに屋上には、鍵がついてしまって、マンションの住人でさえも、足を踏み入れることができなくなってしまいました。

実は、わたしたちが、このマンションに出会ったのは、後になって振り返ると、それは、まさに日本全体が夢見る夢子時代!!!

そして、ある日、彼も休みで、マンションに一緒にいた午後に、揺れたのです!!!

とはいっても、マンションに住み始めてから知ったのですが、そのマンションは、岩礁の上の埋め立て地に建てられていたマンションだったこともあり、びくともしなかったのです。

わたしの人生の中では、10本の指にも入らないほどしか揺れませんでした。

まさか、日本が大変なことになっていたとは!!!

揺れでは、何も、影響はなかったのですが、しばらくしたら、津波注意報が流れ始めました。

揺れが微小だったこともあって、怖さは、ほとんどなくて、彼と顔を見合わせて、どうする???

まずは、内陸部のわが家の様子を見に行こうということになって、わが家へ。

こちらはこちらで、クローゼットの棚においてあった空の段ボールが一つ、落ちていただけで、いつもの通り。

さあ、今日は、どちらで寝る???

そして、その時のわたしたちの結論は、津波の怖さより、化学物質の怖さの方が強面という結論に!!!

というわけで、夕方、再び、海見えマンションへ!!!

ところが、海見えマンションに向かうその途中の、海沿いの道を歩いていると、警備をされている方に、どこに行かれるのですか???と。

海沿いのマンションの住人だということで、通行可能になりましたが、中には、避難をしたという方々もあった中、といっても、どうやら、それはわずかで、そこここの電気がついていてほっとしましたが、3.11のその夜も、わたしたちは、堂々、海見えマンションに戻ってきました。

そして、わたしは、思ったのでした。

もしかしたら、このために、今、ここにいるのかしれないと。

というのも、目の前の海のその少し前は、神聖なるスペースがあって、わたしは、引き潮になると、しばしば、そのひょっこりひょうたん島のようなスペースに降り立っていたのです。

震災の後にも、引き潮で、その小さな小さな島のスペースに降り立つことができる時には、その聖なるスペースで、また満潮で、そのスペースに降りれない時には、その手前で、母なる地球レディーガイアに祈りを捧げていたものです。

満月の夜には、部屋に居ながらにして、空高く輝いている満月を眺め、そして、また、その満月が、神聖なる島に映し出されている光景に息を飲んでいました。

その頃、わたしは、寝る際にも、可能な限り、窓を開け放して、毎晩のように海のさざ波の音をBGMにしていました。

アウトドアライフではないのですが、安全安心なマンションというスペースにいながら、現代では、ちょっと想像のできないようなラフな生活を満喫できたこの期間は、わたしたちの人生にとって、ちょっとしたイベントのようでもありました。

彼は、しばしば、現実の生活を眺めつつ、” まるで、映画の一コマのようだね ” と語っていました。

贅沢さを排除しながらも、最高の贅沢な生活がここにありました。

ずっとテレビなし生活ということもあり、加えて、わが家は、いまだに携帯のテレビも受信できず、そのマンションでさえ、ほんのわずかな角度でしか携帯テレビが受信できなかったこともあって、わたしは、震災当時から、今にかけて、これほどまでに当時の情報を画面で見ていない人はいないのではないかというほど、映像を見ていません。

わたしが、怖さ知らずで、海見えマンションに住み続けることができたのは、そのおかげもあるかもしれません。

最初の何日かは、めったに聞かないCD機器にラジオが搭載されていることも知らないまま過ごし( 後にわかったのは、CDラジカセで、そのことがわかってからは、ラジオが友達になりました♪ )、停電の放送があまり聞こえないので、急遽、マンションに新聞をとるまで、情報とは、と〜んとご無沙汰。

すべてのことが、わたしが、本来のわたしで居続けることを応援してくれたのだと思います。

海のリトリートとわたしたちが呼んでいるところの海見えマンションとの出会いは、今回のこの惑星地球におけるすばらしい記念すべき体験の一つのなりました。

母なる地球レディーガイアさんのハートの鼓動をこれほどまでに近くで、日々、味わうことができた類い稀なる出会いに、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

レディーガイアさんありがと〜う♪

 

 

 

 

日本、そして、惑星地球全体が、さらなる光で、包まれ進化を継続しつづけるのを心から意図しております。