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「地球へ降り立ってみたものの」 リトゥルスターのささやきブログスタート2005投稿より

私は、幼い頃、涙がぽたっ!ぽたっ!と枕に落ちる音を耳にしながら、眠りについた日々を今でも鮮明に覚えています。

「なぜ?わたしは、今、ここにいるのかしら???」

「もしかしたら、間違って、この地球に降りてきてしまったのかもしれないわ!」

「どうしよう!」

「あ~故郷のお星さまに還りたいな~~~」

今、思うに、おそらく、その頃の私は、そんな思いがとても強かったのではないかしらと思うのです。

私が、生まれた時から知っていた心地のよいヴァイブレーションと、この地球上で繰り広げられている様々な出来事は、微妙に違っていることを私は、幼い頃から、敏感に感じ取っていました。

「私が、ここに存在していること自体、間違っていることなのかしら?」

こうした、地球のヴァイブレーションに対しての違和感は、小学校に上がる直前の頃まで、強烈に持っていたように思います。

スピリチュアルな世界の扉を開いてから、あ~そうだったのね!と、いろいろなことが深~いレベルで納得できるようになりはじめました。

私は、私自身が幼い頃から携えてきた早く地球を卒業して、魂の故郷に還りたいという思いについて、《★お星さま還りたい病(症候群)》と名づけています。

高次元からとらえたスピリチュアルな見方によると、どうやら子供は、生まれた後、7歳頃になるまでは、生まれる前に考えていた状況と、自分自身が生まれた環境が、あまりにも異なっていて、このまま地球での人生を継続することが非常にむずかしいと判断した際には、場合によっては、早々にこの地球の人生を早期撤退するという選択さえも、可能だというのです。

もちろん、そのためには、寝ている間に、高次元の存在たちと、何度も何度も話し合いをして、本人が、それに伴うリスクなども、十分に納得した上で、そうした、予定とは違う早期撤退の道へと人生の路線を変更するのですが、そのような選択が幼い子供には許されているということを知って、びっくりするというよりも、私の場合は、やっぱりそうだったのね!という思いが強かったのでした。

というのは、私の場合は、何度も、何度も、早期撤退の申請をしていただろうと、予測がつくからなのでした。

母から伝え聞くところによると、未熟児には、ならなかったものの、もう少しで、保育器のお世話になるというすれすれの状態で、生まれてきた私は、この地上に誕生した後も、おっぱいを飲まなくて、随分と両親を心配させたようなのです。

ある時、お医者さんに、栄養失調寸前です!といわれて、ビタミン剤によって、命拾いをしたそうな‥‥

その後も、幼い頃の私は、やせっぽちと言われるような、スカートは、いつもくるくるまわってしまうほど、やせていた女の子でした。

幼稚園の頃までの記憶というと、食べ物を食べたくなくて、叱られるという食べ物が極度に不足している国々からすれば、なんとも贅沢な悩みがあったのでした。

当時の私の感覚で言うと、食が細くて、それでいて、食欲にむらのある、そんな親泣かせの子供でした。

自分のお気に入りの食べ物は、食べるのだけれども、それ以外のものは、食べたくないような。

幼い頃の話によると、妙にバターが大好きで、こっそり、冷蔵庫からバターを出して食べ過ぎてしまうのでと、冷蔵庫に鍵をしていたというから驚きです。

当時の冷蔵庫って、鍵がついていたものがあったなんて!

そして、バターをそのままむしゃむしゃ食べるなんて、今の私には、考えられませんが、おそらくは、当時の私の体が、バターの栄養を欲していたのかもしれません。

11歳まで、兄弟が生まれなかったこともあって、私は、長い間、1人っこで育ちました。

そんなこともあって、当然のごとく、両親の最大の関心事は、1人娘の私のことでした。

それで、どのようなことが起こるかというと、食べろ攻撃なのでした!(笑い)

幼稚園のお弁当の時間は、私にとって、最悪の時間でもありました。

今、考えると、いつも食べきれないのならば、もう少し、分量を減らすという選択もあったろうに!と思ったりもするのですが、やせっぽちの娘には、きちんと食べ物を食べさせなければいけないという信念があったためか、お弁当の日というと、私は、毎回、お残こし組みでした。

お残し組みとは、お弁当の時間内に、食べ終わることができなかった子供たちだけが部屋の片隅に残されて、延々とお弁当箱が空になるまで、そこに残されるのでした。

といっても、最後には、時間ぎれになって解放されていたと思うのですが、当時の私にとって、これは、ゆるやかな拷問のようにさえ、感じられたものでした。

食欲旺盛な時に、食べたくない人のことって、想像することもむずかしいと思うのですが、食べたくない時に、ひたすら、食べなさいと強要される食べろ攻撃!が、いかに、その子供にとって、残酷かは、おそらくは、その体験を味わったことがある人しか、わからないのでは、ないかと思います。

そんなわけで、私の幼い頃の最悪な体験というと、幼稚園のお弁当の時間がまず思い浮かびます。

そして、次には、夕食の時です。

この時には、普段はとってもおおらかでやさしい父までが、母と2人で口をそろえて「もっと食べなさい!」だったのです。

夜、枕にぽたぽた涙が落ちたその音の記憶も鮮明なら、食事時に食べられなくて泣いていた記憶もいっぱい残っています。

母の実家がとっても遠いところにあったこともあって、毎年のように夏に母の田舎に帰省する時などは、乗り物に弱い私は、もう朝からのどに食べ物が通らなくなるほど、緊張していました。
それゆえに、お出かけの日というと、朝から飲み物くらいしかのどを通らず、車中のお昼はというと、プリンかアイスクリームが定番でした。

私のイメージでは、緊張すると、のどの管が超細くなってしまう感じなのです。
そんなこともあって、食べたものを飲み込むなんて、考えもできなくなってしまいます。

7時間か8時間かけて、母の実家に着くと、やっと緊張から解放されて、食欲が出てくるのでした。

お出かけの時もそうならば、遠足や運動会、水泳教室の前や、バレエの発表会の朝などもそうでした。

いつもよりも、体力の必要そうな日に限って、ただでさえ小食の私がもっと食べられなくなってしまうのですから、母は、「こんな大切な時に食べなくてどうするの!」と、猛烈に私のことを叱ります。

母は、栄養士の資格を持っていたので、母の頭の中には、いつでも西洋栄養学の栄養分析表があったのでしょう。

当時の西洋栄養学の常識からすると、私の状況は、なんともいえずに、大変なことだったに違いありません。

時には、食べ物を食べないことの方が、体を活性化するという自然治癒の真実を理解してくれていたならと思わずには、いられません。(笑い)

私は、こうして、幼い頃は、おっぱいを飲まないとか、食べ物を食べないということによって、自ら早期撤退の道を模索していた時期があったのでした。

けれども、幸いなことに、たくさんのガイドさんたちのサポートと説得のおかげで、私は、ある頃から、本気で、この地球で生きていくというスイッチをONにしたのでした。

高次元の存在が語っていた、7才という年齢は、ちょうど、小学校入学の頃でもあります。

私が、極度に緊張する場合を除いて、普通の子供と同じように、食べ物を食べるようになったのは、ちょうど、小学校に入学した頃のことでした。

そんなわけで、妙に、高次元の存在が語っていることと、
私の状況は、符号するのです。

もし、この文章をお読みの皆様の中で、子供さんが、食が細くて、悩んでいらっしゃる皆様がいらしたなら、是非、子供さんには、新鮮な果物や野菜を食べさせてあげてほしいと思います。

今、地球は、アセンション中です。

どんどんとヴァイブレーションがアップしているので、新しい時代の子供たちは、新鮮な食べ物を必要としています。

そして、新鮮な食べ物の中には、酵素(エンザイム)が豊富です!

新鮮な果物や、お野菜は、生きたヴァイブレーションを豊富に持っているのです。

そして、できれば、無農薬か、有機農法のものがベストです。

食べ方にも、順序があって、果物は、食後ではなく、朝一番がベストです。

もし、朝、一番出ない時間に、果物を召し上がるのでしたら、おなかがすきはじめた食前がベターです。

食後のデザートは、要注意!

食後のデザートが、体に過度の負担をかけることは、今では、自然療法的な観点を持った海外の専門家の中では、超常識でもあるのです。

エンジェリックハーモニーでは、新しい時代の子供さんたちをお持ちのお母さんのケアをしております。

また、もちろん、私のようなお星さま還りたい病をお持ちの皆様の様々なサポートも行っております。